きずなの作文コンクール”このまち思いエピソード”結果発表

たくさんのご応募ありがとうございました。
応募期間:2020年6月16日~2020年9月15日

広島のまちを想う、心あたたまるエピソードを多数お寄せいただき、誠にありがとうございます。
多数のご応募の中から、厳選なる審査の結果、一般コースから、最優秀賞(1作品)・優秀賞(2作品)、
児童コースから最優秀賞(1作品)・優秀賞(2作品)、
一般コース・児童コースから、審査員特別賞(3作品)を決定いたしました。
WEBにて受賞者および作品を発表しておりますので、ぜひご覧ください。
私たち広島ガスは、今後とも「人」と「まち」をつなぐ企業として、このまちにくらす皆さまの笑顔を育んでまいります。

一般コース受賞者発表

最優秀賞[商品券5万円分](1作品)

一般コース受賞作品発表

倉橋の夏のイラスト作品の内容から連想される風景を、当社アニメCM「このまち思い物語」のスタッフが描いたイラストです。

最優秀賞

“倉橋の夏”

月野 流々さま

【思い出の場所[倉橋島]】

 瀬戸内海に幾つも浮かぶ牡蠣筏。初めて見たのは、七年前。広島に引っ越してきてすぐの頃。あの時は、フェリーからただ眺めているだけだった。最近の私は、なんとその筏に乗って、父と魚釣りをしている。
 その日も私と父は筏の上にいた。釣りの舞台は倉橋島。私は早速、海を覗き込んだ。天気の良い日が続くと、水が濁っていないので、海の中がよく見える。大きい魚の群れが現れると、未だに毎回驚いてしまうし、竿がしなると「来たっ!」と大きな声を出してしまう。でも、慌てたらいけない。早く糸をまくと、魚についた針が取れてしまう。近くを漁船などが通ると、その波がこちらに来て、筏がギィギィと音を立てて揺れる。シーソーに乗っているみたいだ。私は楽しくて笑った。魚が釣れない時は、遠くに見える島や船や早瀬大橋を、静かに眺める。癒される。ずっとここにいたくなる。でも、時が経つのはいつもあっという間。父が漕ぐボートで陸へ帰る。夕方の色に染まる空と海と山を見て、深呼吸。「帰りとうないわ。」普段広島弁を話さない私だが、急に言いたくなって、そうつぶやいた。
 これが去年の夏の話。今、私は受験生なので、釣りに行けていない。私は広島市に住んでいて、倉橋島は少し遠いのだ。しかし、離れていても、そこはとても身近な場所。大きいアジやハゲを釣った時の手応えや、魚が泳ぐ海中の様子、頬を撫でたあの爽やかな海風が、いつどこにいても、私の頭を離れない。

優秀賞

“桜がくれた涙”

ケンチャンダヨさま

【思い出の場所[憩いの森公園]】

 長いこと海外で育ち、日本で過ごした大学時代の花見は正直何が楽しいのかわかりませんでした。なんとか卒業して就職もでき、窮屈な関東から自然豊かな東広島に移住することになりました。社員寮の窓から見える空は広く、雷雨の夜には稲妻が空一面を照らし、これからは社会人として、自分の力で勝負しなければいけないというプレッシャーにかられました。
 入社して一年目を終えようとし、同期との絆も深まってきた頃、花見に誘われました。学生時代の記憶が甦りましたが、断る理由もなかったのであまり考えずに参加しました。場所は社員寮から近い憩いの森公園。秋には同期とバーベキューで行き、馴染みのある場所でした。皆と車からお花見セットを運び、集合場所に向かおうとした時、息を飲みました。これまで見てきた夏、秋、冬とは全く違う景色で、目の前の桜の木は凛々しく立ち、遠目に見える山ではまるで花火が一時停止されたような桜の木があちこち。この360度の絶景に、これまで花に感動することはおろか、花の魅力もわからない自分は、日本に馴染めなかった学生時代、社員寮から見た稲妻に圧倒された夜、これらを全部涙で流し落とせました。
 同期とは少し離れ、涙を隠しながら荷物を運び、集合場所に向かいました。集合場所に着いた時には涙は乾き、私は生まれ変わりました。これからも日本でやっていける。広島でやっていける。そう感じさせてもらえた場所です。

優秀賞

“四丁目のカッパ”

佐伯 智さま

【思い出の場所[元安川に架かる平和大橋から元安橋を望む]】

 随分久しぶりに、平和大橋から上流に架かる元安橋を望んだ。その川の流れは東側にやや膨らみ、西側の平和公園側に比べ深みを貯えている。その様子は子供の頃見た記憶と寸分変わるところはない。変わったとすれば、両岸に犇めいていた軒先が消え、緑化が移ろいを感じさせる。
子どもの頃、今立っている平和大橋は、何故か「新橋」と呼ばれていた。当然のことながら木橋であった。
 さて、ここで一気に子どもの頃の追憶を披露しよう。この新橋の東側一帯を四丁目と云ったことから、夏になると「四丁目の新橋」が子供たちの格好の遊び場となった。そこに集う子供たちのことを「四丁目のカッパ」と呼んだ。カッパたちの楽しみは「ラムネ」であった。橋の欄干から川面に飛び下り、大きな水泡を作れば作るほど、周囲からの歓声が高い。勿論、本人もその快感を味わうわけである。だが、そのラムネを楽しむまでには相当の決意と覚悟が必要であった。まず欄干に立つことから慣らしていくのであるが、人知れず欄干に立っては下り、下りては立つという仕草を繰り返す内に、勇気と自信がつき、川面をめがけて飛び下りることが楽しみになってくる。不思議なことに、一度飛んでしまえば、何の恐怖もなく、ひたすらラムネに専念できるのであった。
 一瞬の白日夢ではあったが、確かにその風景を再現できた。そして時の移ろいと共に川は流れていく。

児童コース受賞作品発表

最優秀賞

“自然のプラネタリウム”

MIOさま

【思い出の場所[江の川カヌー公園さくぎ]】

 わたしは、江の川カヌー公園さくぎというキャンプ場にいとこ達とキャンプへ行きました。
 夜になると、星がたくさん見えて、流れ星も1つだけ見えました。1つだけ見えた流れ星は、「ペルセウス座流星群」なのだと、母が教えてくれました。わたしは、願い事をすればよかったな、と思ったりしました。ベンチシートに横になって空を見上げてみると、まるでプラネタリウムのようにたくさん見えましたが、星がありすぎて北斗七星、カシオペア座、夏の大三角など、このくらいしかわかりませんでした。いとこ達とベンチシートに横になると、とてもせまかったけど、星はとてもきれいでした。たくさん星が見えたので、わたしはこのけしきを「自然のプラネタリウム」と、名付けました。キャンプ場から見れる「自然のプラネタリウム」は、本当にきれいで、プラネタリウムよりも、すごくすごくきれいでした。天の川も夜空に流れていて、天の川だと思われる夜空には、白く、すーっと流れているようなもやみたいなものが星の下に流れていました。私の持っている、キッズケータイで写真や動画をとろうとしても、まっくらで何もうつらなくてわたしは、とってもがっかりしました。星を数えてみると、200個以上はありました。
 わたしは、このキャンプ場だけでなく、ほかの広島のキャンプ場からもたくさんの星を見てみたいと思いました。

優秀賞

“しかに会ったこと”

こまつ りほさま

【思い出の場所[宮島]】

 わたしが、4才の冬休みの時に宮島にいきました。まず、おべんとうを店で買って、店内で食べました。おなががいっぱいになると、次は、店を出て、「もみじまんじゅう屋さん」にいきました。つぶあんとこしあんを買いました。私はつぶあんで、母と父はこしあんでした。とてもおいしかったです。次にしかに会いました。小さくて、わたしのせのたかさよりも少し大きかったです。なでてみると、せなかはふさふさしていました。しかはわたしをふしぎそうに見つめていました。わたしもみつめました。ここがいちばん心にのこっています。
 母が「もう次の所、いくよ。」と言ったので、しかに手をふって、次のところへいきました。しかのことはずっとおぼえていたいです。
 広島には、宮島いがいにも、いいところはいろいろあります。たとえば、庄原市のび北きゅうりょう公園や、佐伯区の植物公園などです。ぜひ広島のいろいろなところにいってみてください。わたしは広島が大好きです。みなさんに広島をたいせつにしてほしいと思います。

優秀賞

“ぼくゆかりの地めぐり”

田なべ あつきさま

【思い出の場所[ひじ山]】

 ぼくはGLAYが大好きです。北海道りょ行をした時、はこ館のGLAYゆかりの地をめぐりました。もし、ぼくがゆう名になったら、ぼくのゆかりの地はどこだろう。
 きっと、ひじ山は外せないと思います。理由は、ようち園の時、たくさん登ったからです。そこでは、どんぐりあつめやおにごっこ、スタンプラリーや運動会の練習もしました。二つ目は、えんこう橋です。なぜなら、しゃせい大会で、橋と路面電車の絵をかいたからです。ようち園の先生や友だちと一しょに、えんこう橋をわたるかみさまのおまつりもありました。三つ目は、黄金山です。それは、夜けいがキレイだし、上からう品や広島えき前や海を見ていると、学校や友だちのことでなやんでいた気持ちがすっとなくなって、スッキリしました。四つ目はやっぱり、学校の平和学習での原ばくドームは外せません。
 最後に、世界いさんにもなっているみや島は、生まれてすぐになくなったぼくの弟のみずき君がねむる場所だから、ぼくは、何ども何ども訪れたいし、広島に来たことがない人にはぜひ、しょうかいしていっしょに歩きたいです。2さいの時、みや島のしかにソフトクリームを食べられたので、よく気をつけないといけません。
 ぼくは、しょうらいフェラーリのデザイナーになりたいので、ぼくがもし有名になったら、ぼくのファンは、ゆかりの地をめぐるのかな。そうなるといいな。

一般コース・児童コース受賞作品発表

審査員特別賞

【広島電鉄賞】

“思い出から新たな故郷に”

白梅さま

【思い出の場所[広島駅から市電で市内へ]】

 私の出身は山口県だけど、広島は小さい頃から家族で遊びに行くとこ、買い物に行く場所として身近な県だった。
 そんな私にとって思い出深いのが、祖母が連れて行ってくれた広島市内。車が運転できない祖母はよく私と年下の従姉妹をつれて電車でよく遊びに連れて行ってくれたけど、乗り換える必要があるそこへは数えるほどしか行ったことはない。それでも記憶に残っているのは幼心にもその日は驚きの連続だったからだ。
 駅から出て私が目にしたのは道路を走る電車!道路を走る乗り物と言えば車やバス等だけと思っていた私にとって電車が車と一緒に走ってることは衝撃でワクワクがとまらなかった。その時は乗り方も分からなかったけど、祖母にくっついて乗った後は従姉妹と一緒に外を見ながらすごいね‼︎を繰り返していたのを覚えている。既にテンションの高かった私だが、その後つれていってもらったショッピングビル屋上遊園地にますますテンションは上がりっぱなし、何もかもがキラキラしてみえた。
 気づけば屋上遊園地はもうなくなっていたけど、広島の短大に通ったことで市電を使う機会は増え、やがて主人に出会い移住し息子を授かった。
 今は難しいけど、また日常が戻ってきたなら主人と一緒に息子を乗せキラキラ外を眺めるだろう息子の姿を今度は見たい。この子にとって故郷になる広島を一緒に楽しみたい。そしてこの子と暮らしていく私にとっても広島が新たな故郷になっていく。

審査員特別賞

【広島県ブランド・コミュニケーション戦略チーム賞】

“二つ目のふる里”

渡邊 里香さま

【思い出の場所[呉線から見える海沿い]】

 私が広島県を始めて訪れたのは、今から10年前のことである。地元の短大を卒業し、呉に就職した。今まで楽しく過ごしていた地元から、ほんとは離れたくなかった。けれども、自分の夢のために片道切符を握りしめ、たくさんの想い出が詰まったふる里に、背を向けた。職場は、ほとんどの方が広島県民で、社内では広島弁を多く含んだ言葉が飛び交っていた。上手く聞き取ることができなくて、何度も聞き返し、戸惑うこともあった。
 「何かあったら、いつでも帰っておいで。」という遠くにいる家族の声はお守りのようで、いつも頭の中で繰り返していた。けれども故郷を捨てたに等しい自分の覚悟なので、不安だらけの波が押し寄せても頼る術はなかった。ある休日の日、気分転換に一人旅で広島方面に向かう呉線の電車に乗った。車窓に流れる景色に目を向けた。海に浮かぶ島、遠くの山、新しい街並み、初めて聞く駅名。何もかもが新鮮だった。異国の地に流されたような感覚があり、すべての不安はぬぐい切れる自信はない。けれども、漠然としているが、この街で生きていける気がした。日々過ごすうちに、目に映る景色はいつもの街並みとなり、出会う人々との言葉のやりとりも増え、やがて私の不安は少しずつ取り除かれていった。
 勇気が降り積もり、私は今日まで無事に、そして楽しく過ごすことができた。気が付けば、広島県がもう一つのふる里になっていた。

審査員特別賞

【紙屋町・基町にぎわいづくり協議会】

“グリーンティー”

尾﨑 真弓さま

【思い出の場所[広島の市街地]】

 どんなに夏が暑くとも、夏が好きだ。暑さが頂点に達すると、心の中のお茶の精が、涼やかな緑色の風を送ってくれるのだ。
 遠い日、そう、あの夏の日のように・・・。
 広島市には先祖の墓がある。毎年盆になると親戚が集い、呉本通りの国鉄バス乗り場から広島行のバスに乗り込む。幼き私は、まるで遠足の様に心ときめく夏の行事だった。
 昭和52年、祖父が他界し、広島の墓に納骨した。初盆の墓参りの後、祖父と親交があったお茶屋のご夫婦に挨拶に伺うことに。
 広島の市街地を従兄弟たちと喋りながら歩くのは、小学生の私にとって深い楽しみだった。
 しかし、真夏の真昼の暑さは身に堪える。
 水筒のお茶も空っぽだ。暑くてもう歩けない、と弱気になった時、お茶屋の看板が。
「よく来てくれましたね。暑かったでしょう。」
 着くや否や、店のご夫婦が冷えたグリーンティーを出して下さった。その冷たさ、その美味しさ、その香りといったら言葉もない。
 最高のおもてなしを受け、感謝感激大満足。
 「ああ美味しかった。生き返ったねえ」
 その時、お茶の香りの涼やかな緑色の風が私たちを包んだ・・・・
 あの一杯のグリーンティーには、お茶屋ご夫婦の優しさが溶けていた。いいえ、それだけではない。広島の街にはいつもこの様な人々の思いやりが溶け込んでいるのだと思う。
 広島での懐かしいグリーンティーの思い出と共に、広島の夏は今年もキラキラと眩しい。