“このまち思い出”物語 あなたと広島のエピソード 大募集 結果発表

たくさんのご応募ありがとうございました。
2019年10月1日より開催の当キャンペーンは、2020年1月15日をもちまして終了いたしました。

広島のまちを想う、心あたたまるエピソードを多数お寄せいただき、誠にありがとうございます。
多数のご応募の中から、厳選なる審査の結果、一般コースから、グランプリ(1作品)・準グランプリ(3作品)・審査員特別賞(3作品)、
児童コースからグランプリ(1作品)・準グランプリ(3作品)を決定いたしました。
WEBにて受賞者および作品を発表しておりますので、ぜひご覧ください。
私たち広島ガスは、今後とも「人」と「まち」をつなぐ企業として、このまちにくらす皆さまの笑顔を育んでまいります。

一般コース受賞作品発表

ひこうきに乗れる橋のイラスト作品の内容から連想される風景を、当社アニメCM「このまち思い物語」のスタッフが描いたイラストです。


グランプリ

“ひこうきに乗れる橋”

林 百合さま

【思い出の場所[広島大橋]】

 社会人になったら、かっこよく、手に職を。そんな漠然とした思いを叶えるため、大学卒業後に生まれ育った広島を離れ、とある九州内陸の町へ。街並みも方言も食べ物も初めてづくしで、好奇心いっぱいの楽しい気持ちも、毎日の激務に段々と、疲ればかり勝るようになっていった。
 3年が経ち、その年のゴールデンウィークに、友達の結婚式出席のため、父に車で呉まで送ってもらうことになった。仕事の様子を尋ねる父に、前向きなことが言えなくて言葉に詰まっていた時、フロントガラスから飛び込んできた景色に思わず声を上げそうになった。雲一つない真っ青な空に、キラキラ輝く一面の海。広島大橋だった。当時住んでいた町は内陸で、気温と湿度が高いせいか、晴れていても白っぽい空の色に見慣れていて、「広島の空と海はこんなに青かったんじゃ」と驚いてしまったのだった。その時父が「この橋通ったら飛行機に乗っとる気分にならんか。なんか気分がスーッとするんじゃ」とつぶやいた。その言葉に、仕事に行き詰まっていることはとっくに見透かされていて、私を励ますために、わざわざ広島大橋を通って送ってくれたことに気付いた。仕事はきっとどこにいても大変で、だからこそ自分を励ますものを見つけながら、生きていかなくてはならないのだろう。広島に戻って今年で20年。思い描いたかっこいい仕事ではないが、なんとか自分の力で生きている。時々は空を見上げて、海に出掛けながら。


準グランプリ

“人生の玄関口”

福田 一美さま

【思い出の場所[広島駅新幹線ホーム]】

 広島に生まれ、広島で育った私は、これまで広島でたくさんの友人と出会い、たくさんの思い出を作ってきました。皆で遊んでいる時は、ずっとみんなで広島にいれると思っていました。しかし、時を重ねるにつれ、友人達は広島から離れていくことが増えました。広島を離れる理由は、最初は大学への進学、その次は就職、最近では結婚です。でも昔から決まって旅立ちは必ず広島駅のホームで見送ってきました。友人の心細そうな背中に向かって「負けんでね!また帰ってきんさいね!」と言葉をかけてきたものでした。そんな風に30歳になるまでいつも皆を送り出していた私にも、送り出される日が来てしまいました。
 今まで笑顔でたくさんの友人を見送ってきたホームで、私は笑顔で出発できるものとばかり思っていました。しかしいざ新幹線のドアをくぐると、涙がとまりませんでした。さらに振り返ると、見送りに来てくれた友人の目にも大粒の涙。大好きな広島を離れたくない、離れるのが悲しい、そんな気持ちになりかけたとき、友人の1歳になる娘がコロコロと笑っていました。そんな笑顔を見て、「このホームで一生の別れをするんじゃない。次このホームに帰ってくる時、また皆で笑い合う為に頑張らんといけん!」と決意を固めました。
 別れがあるからこそ、次の出会いが楽しみになる、だから頑張れる。そんな想いにさせてくれる広島駅のホームこそ、私の大好きな場所です。


準グランプリ

“みんなの妹背の滝”

ちょびさま

【思い出の場所[妹背の滝]】

 幼い頃夏の家族行事の一つが、妹背の滝での川遊びでした。両親と私と3才離れた弟は私が中学生になるまで佐伯区に住んでいました。当時弟は車に乗ることが苦手だったため、私達家族はあまり遠出をすることがありませんでした。そんな中、一番の遠出が大野にある妹背の滝でした。大頭神社を通り過ぎ、少し歩くとゴーっと水の音がだんだん力強く聞こえ、林を抜けたとたん一気に視界が明るくなり、目に飛び込んでくるのは山をすっぽり切り開いた青空とその右側に大きな滝。何度来ても「わぁ」と私を感動させてくれました。滝は大きく、少し近づいただけで水しぶきを浴びることができ、夏はたくさんの家族で賑わっています。
 中区に引っ越した中学からは川遊びよりも当時飼い始めた犬の散歩の場となり、妹背の滝は20年以上家族で通う場所になりました。
 そして27歳で、同じく広島市内で生まれ育った主人と結婚。結婚後初めてのお正月、主人の家族と過ごすことに。主人の家族の恒例行事がなんと妹背の滝の前で写真を撮ることでした。
 市内から少し行けば山、川、海と自然溢れる広島。色々な場所が色々な家族の想い出の地となっている中、私の家族と主人の家族が同じ場所を想い出の地としていることが嬉しく感じます。
 そして29歳になった去年の春、私は女の子を出産しました。今度は新しい家族と妹背の滝で新しい想い出がスタートです。


準グランプリ

“黄金山から眺める広島の景色”

いも女さま

【思い出の場所[黄金山]】

 私の広島での思い出の場所は、黄金山です。黄金山から眺める広島の景色は、言葉にならないほど綺麗です。春は桜が咲き誇り、暖かい風が心地よいです。私は毎年、春になると家族で黄金山に行き、お花見をします。お母さんが作るお弁当がいつもより美味しく感じます。夏はさわやかな風が心地よく、カブトムシやクワガタなどの昆虫がいて自然と触れ合うことができます。秋は紅葉が綺麗で、ひんやりとした空気が心地よいです。冬は出店でおでんが出されるし、澄み渡る空気で夜景がより一層美しく見えます。
 私は、友達や家族とよく行きますが、一人でもよくたそがれに行きます。自転車や歩きで行く時間は、急な坂道が続くのでとても疲れますが、頂上の景色を見ると、そんな疲労も吹き飛びます。その時の気温や天気や湿度や時間によって見える景色も異なります。私が一番美しいと感じる瞬間は夜の20時頃に見る夜景です。家の電気の明かりや外灯や信号機の明かりなどが一つ一つ綺麗に浮かんで、いつまでもこの場所に居たいと思えるような景色が見れる場所です。
 私は、つらいことがあった時や、失恋をした時や、誰かと喧嘩をした時などは黄金山に行き気持ちを落ち着かせます。私の心の拠り所になるこの場所が本当に大好きです。ここから見える景色がいつまでも変わらないことを願います。


審査員特別賞(広島県ブランド推進課賞)

“「ぽかぽかだね」
(心温まる倉橋島の思い出)”

松澤 苗さま

【思い出の場所[倉橋島]】

 21年前広島転勤は、2才反抗期の娘を連れて不安で一杯だった。ある日、情報誌で見つけた倉橋島へ、瀬戸内海の美しい風景を観に家族3人で車を走らせた。昼過ぎに到着、まずは飲食店を探したが見当たらない。コンビニも無い。やっと見つけた店は店休日だったが、勇気を出して扉を開けた。店の女将さんが「ハゲならあるよ」と快く応じてくれた。ハゲ?聞けばカワハギの事で美味だと言う。早速お願いし、待つ間、外でこの店の子供達のサッカーに夫が仲間入りし、すぐに仲良くなった。新鮮なハゲの刺身と肝は本当に絶品だった。お腹一杯になりお礼を言って店を出ると、子供達がずっと手を振り見送ってくれた。
 しばらく行くと「みかん!」と娘が山の斜面のみかん畑を指さした。車を止めて外に出ると、おじさんが近づいて来て、娘の両手にみかんを乗せてくれた。娘はありがとうの後に小さな声で「採ってみたいな」とお願いをした。私は慌てたが「好きなだけ」とおじさんは笑った。娘は一つ採ると、その場で皮をむいて口に入れ「あまーい!おひさまぽかぽかだね」と目を丸くして、ホッペをモグモグさせながら言った。溢れんばかりの笑顔だ。
 車中にみかんが香り、やっと桂浜に着くと橙色の夕焼け空と青い海が広がっていた。心にジンと染みる美しさだった。足元には松ぼっくりが沢山落ちていて、娘には宝物の山の様だ。夕日が沈んで車に戻るとすぐに娘は眠った。軽く触れたホッペがぽかぽかだった。


審査員特別賞(中国新聞社賞)

“広島の住人”

橋 宣茂さま

【思い出の場所[可部線古市橋駅]】

大阪に就職して四年、会社から広島転勤と言われた時はショックだった。
結婚間近だった私は長崎出身で転勤するなら九州と思っていたからだ。
結婚相手も同郷でふたりとも意気消沈して広島に来た。
住いは可部線古市橋駅近くのマンションの三階を借りた。
丁度古市橋駅のホームからマンションの白いベランダが見え、通勤時妻が笑顔で手を振ってくれる。
ふたりの新婚生活は古市橋でスタートした。
広島は都会と田舎が混在した馴染みやすい場所で、近所の人たちも親切だった。
数年後私たちに子供が生まれ、妻と一緒に子供もベランダから手を振って見送ってくれるようになった。
「広島の住み心地はどうなん」
長崎に里帰りした時母に問われる。
「良か所ばい」
「原爆繋がりやね」
母の一言で八月のことを思い出す。毎年八月六日には原爆ドームに向かって頭を下げ、三日後は長崎に向かって手を合わせる。
「黙祷するんは同じじゃ」
「もう広島弁覚えたとね」母が笑った。
住んでいる間に可部線は廃線と延線を経験し、古市橋駅前も変貌した。
駅舎が新しくなり、周辺にはビルが建ち並ぶ。
もう駅のホームからベランダは見えない。
わたしたちは古市橋から離れられず、近くに家を買った。
広島の住人になって四十年、今も私は駅近くの居酒屋で近所の仲間たちとカープ談議に花を咲かせる。


審査員特別賞(広島電鉄賞)

“「ありがとう」が行き交う街”

かおるの父さま

【思い出の場所[路面電車やバス]】

 『ありがとうございました』
 「ありがとう」という言葉は、日本語の中で最も美しいものだと思います。それを耳にすると、私に言われたわけではなくても、きっと良いことがあったのだなと、何か嬉しく、清々しい気分になります。それを広島では、毎日必ず聞くことが出来るのです。
 「ありがとう」を聞くことは、まあ日常では、良くあることと思われるかも知れませんが、公共交通機関の中だったらどうでしょうか。しかも乗客に対して運転手や乗務員が言うだけではなく、乗客が言うのです。
 広島の人は、降車時に路面電車やバス運賃を支払うときに運転手に対して、「ありがとう」「ありがとうございました」と言うのです。子供だけではありません。学生、社会人から高齢者まで年齢や男女を問いません。
 社会人になってから広島に来た私は驚きました。それまで東京、大阪など大都市での生活経験があるのですが、このような場面に出会ったことはありません。
 我が家の妻や息子も「ありがとう」と言って路面電車やバスを降りていきます。息子に、なぜ「ありがとう」と言うのか聞いてみたのですが、妻や学校でやれと教わったわけではないようです。まあクセかなと言っています。広島の風習・文化とでも言って良いかもしれません。
 そのお陰で、私は、毎日、最も美しい日本語が行き交う街で暮らせて、幸せな気持ちで生活が出来ています。

児童コース受賞作品発表


グランプリ

“広島の人には・・・”

山本 聖莉さま

【思い出の場所[お好み焼きのお店]】

 わたしは、四才のころに山口県から広島に引っこして来ました。引っこし当日の夜に、ご飯を食べに行くために、インターネットで広島で有名な食べ物を調べると、すぐに出てきたのがお好み焼きでした。なので、近くのお好み焼きのお店まで、行きました。初めて食べるお好み焼きの上には、わたしが住んでいた地域の特産品に似ているかつおぶしがのせてありました。食べ方が分からなくて困っていたとき、近くにいたおじさんが、「熱いけんねぇ、気を付けて食べんさいよ。」と言って切ってくれたのを、今でも覚えています。そのときのわたしには、広島の人はどんな人なのかと言う思いがありました。でも今のわたしには、こんな思いがあります。広島の人だから、こんな優しさがある、広島の人だから、思いやれる気持ちがあるんだと言うことです。引っこす前は、友達ができるか楽しく、毎日過ごせるか、などとても心配していたけど、この夜の広島の人との出会いで今、たくさんの人にかこまれてくらすことができているのだと思います。
 また、広島の人に出会えたことで、心の中には、広島で良かったと言う言葉が生まれたんだと思います。広島の人には、「他の地域の人には無い力がある。」「思いやりの心と人の心を動かす優しさがある。」
 だからわたしは、「広島のまちが大好きだ。」


準グランプリ

“広島の思い出の場所”

角田 咲さま

【思い出の場所[呉の海ぞい道路]】

 私が好きな広島の町は、呉の海ぞいの道路や能美島から見ることのできる景色です。
その場所が好きな理由は、私がお父さんとつりにいくときによく通る道で、朝早くからいくので日の出の時間とかさなって海の表面がキラキラとひかって、あー朝だなと感じることができるからです。
 能美島に行くまでに音戸大橋をわたります。その橋は、私が初めてつりにつれていってもらった5年前くらいには、ぐるぐる回りながらわたる橋でした。でも今は、第二大橋といって新しくできたとてもきれいな橋になっています。赤くてとても大きい橋でそこから見える景色が私は好きです。
 島に入ったら何個も漁港をまわります。東側の漁港、南側の漁港、西側の漁港、北側の漁港は、それぞれ時間によって見ることのできる景色は全然ちがいます。山が多い景色、海が多い景色がありますが、私は、海が多い景色が好きです。理由は、見る角度によって海の表面のひかりぐあいがちがってキラキラとひかってきれいだからです。
 帰りには呉で有名なうどんを食べて帰ります。お出汁がおいしくて、呉の細うどんでとってもおいしくてゆいいつお父さんと二人きりで出かける時間なので私の大切な思い出です。
 広島の町は、山もあり、海もあり、川もありすてきな町だと思います。なにより食べ物がおいしいので最高です。


準グランプリ

“これからも楽しい時間を”

小西 慶さま

【思い出の場所[本通り]】

 ぼくは広島の町が大好きです。広島には自まんできるような事がたくさんあります。例えば他県や外国から来た人に「広島の人はやさしいですね。」と言われる事です。なかなかそう言われる県は少ないと思うのでとてもほこりに思えます。
 ぼくがなぜ広島の思い出の場所で本通りを選んだかと言うと本通りはみんなで喜びをわかちあえるゆいいつの所だと思ったからです。カープやサンフレッチェが優勝した日はみんなでハイタッチをしたりどう上げをしたりして喜びをわかちあって広島のみんなの心がつうじあっているように思える所だからです。さらに本通りには楽しいお店がたくさんあってみんなで食べたり服を買ったりゲームセンターもあったりして何でもそろっている所なので他県の人達にも自まんできるような所だと思ったのでぼくは本通りを選びました。
 ぼくだけではなく友達も本通りのことを「楽しいよね、本通りに何回もいってもぜんぜんあきないよね。」と言っていた友達もいます。そんな楽しい本通りをなくさないようにしょう来本通りのよいところを小さい子どもに伝えていきたいです。


準グランプリ

“美しい頂上のけしき”

ミルクアイスさま

【思い出の場所[めがひらスキー場]】

 わたしは、去年の12月と今年の1月、2月にめがひらスキー場にいきました。
はじめは、初心者用の初級コースに行きました。中級コースから行こうと思っていたけど、母に、「初級コースから行ったほうがいいよ。」と言われたので、初級コースから行きました。
 次に、中級、上級と上の方へ行きました。そのあとに母とも上級コースへ行って、母がとちゅうの山ごやでコーヒーをのんでいる間に、わたしは、下までおりて、二回目の上級コースに行きました。母は、「しゃめんが急ですべるのがこわかった。もう二度と上級コースに行かない。」と言ってました。わたしは、「そんなにこわかった?とっても楽しかったよ!」と話しました。頂上(1082.5m)から見るけしきは、とても美しくて、山が雪のまっ白なドレスを着ているように見えました。空を見上げると、真っ青で海のようでした。わたしは、このけしきが、すごく気に入りました。そして、このおうぼ用紙を見た時、少し考えると、すぐにこのこと(美しいスキー場の頂上から見えたけしき)を思いつきました。あまりにも美しいけしきだったので、すごくこのきおくがありました。
 このスキー場は、となりにおんせんがあって、スキーで遊びまくった体のつかれを、ほぐしたり、いやしたりしてくれました。
 冬になると、あのけしきを見に、スキー場へまた行きたくなります。