達人 その限りなき挑戦 10
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  喜多流能楽師粟谷 菊生
撮影=柳沢通隆
音声サービス

粟谷菊生さん 何を経験してもいい
うまく自分の芸に
還元しなさい。
お能は意外性がないと
つまんないから

 その扉の向こうには何があるのでしょう。少しの不安と大きな期待。私にとってほとんど未知の世界の、それも日本の宝、重要無形文化財保持者粟谷菊生氏にお会いしに行く。軽くないときめきを胸に秘め、身仕舞を正しその扉を開きました。

――広島とは深いご縁がおありとお聞きしていますが――
 「両親が広島出身ということもありまして、親類がこちらに多いものですから夏にはよく来てましたね。本川で泳いだり、魚釣ったりして遊んだのを覚えております」
――どんなお子さまだったのでしょう。
粟谷さん  「私は男ばかりの4人兄弟で、次男ということもあったのでしょうか、ひょうきんなところがありましてね。靖国神社が近くだったものですから、お祭りの時には屋台が出るでしょ。そうするとそこで口上言いながら、いろんなものを売ってる。そういう口上を全部覚えて帰るの。覚えた口上は今でも言えますよ(笑)」
――芸は『盗む』ものって言われますが、粟谷先生は子どものころから『芸を盗む』才能がおありだった?
 「芸は『盗む』んじゃなくて『頂戴する』ものなの(笑)。戦後、染井にあった松平様の能楽堂だけが空襲で焼け残ったんですね。東京の各流派の能楽師はそこに集まって稽古したわけです。その時、よその流儀を拝見しながら『同じ曲目でも解釈のしかたによってこうも異なってくるものなのか』と、いい経験でした。お能以外でも頂戴するものはどこにでもあるの、何からでも頂戴しちゃうの。落語、狂言、歌舞伎、ある時は、勝新太郎さんの『座頭市』から頂いちゃったこともありますよ。スキーに行ってもね。よそのグループが講習受けてると、そこへスーッと行って知らん顔してりゃ、ただで習えちゃう(笑)」
――では、お能はどなたから学ばれたのでしょう。
 「小学校くらいまでは親父に教えてもらいましたね。でも、時代が時代でしょう、親類なんかは『男の子全部が同じ能楽師だと何かあった時には困るから、ひとりぐらいは他の道をさせないか』と言うんで、私は随分と養子に出されそうになりましたよ。全部ことわられましたが(笑)。まもなく喜多実先生のところへ預けられまして、基礎は実先生に教えていただきました」
――お師匠さんに教えていただいたことで、特に印象に残っていることは?
 「実先生は本当にお稽古の好きな方で、厳しいとかじゃなくて始終お稽古してるの。他に趣味がなかったのかしらねぇ(笑)。そう思うほど、暇さえあればお稽古、お稽古。先生がお休みする時でも『みんな5番ずつ舞えよ』って。5人いれば25番でしょ。おかげで、頭で考えなくても謡が口から出てくるし、所作も身体が勝手に動きます」
粟谷さん ――実先生もお稽古好きでいらしたけれど、粟谷先生もお好きだった!?
 「はい(笑)。ですが、私は自らすすんでやったことじゃないんです。いい先生がいて、いい先生に引っ張られてよかった。それに私がひょうきん者だからでしょうか、何かにつけて目をかけていただいて、謡うチャンスも回数も多くなる(笑)。でも、お師匠さんと言えば、やっぱり名人と言われた先々代の家元、六平太先生ですね。六平太先生は100歳近くまでお元気でしたから、先生の仕上げのお稽古に間に合った。他の人たちは先生の無理難題に逃げまわるんですよ。それで僕が釣りの当番。先生の釣りの相手ですね。始終先生と江戸前に釣りに行く。釣りしてると眠くなる。すると先生がいろんな芸の話をしてくださる。それがとても勉強になりましたね」
――きっと六平太先生も自分の芸を伝えたいと思われたのでしょうね。
 「そう。とってもかわいがってくださいましたからね。それでね、私が六平太先生や実先生から頂戴したものを、今、みんなにお裾分けしているんです。でも、いくらお裾分けしても、感性のいい人でなきゃ取れないんですよ。『謡い』なら一緒に謡って実践の中で感性のいい人だけが、ここの部分はこう謡えばいいんだと取り込んでいく」
――それが芸を頂くっていうことですね。
 「そうそう。そうして、後輩が素晴らしい能をつとめる。それを謡った時などは、疲れもなくいつまでもその舞台のことを楽しみたくってね。その後輩と離れられなくなっちゃう。家に帰るとそこでおしまいでしょ。それで安酒場をはしごして『うちに帰りたくない症候群』(笑)」
――今までで一番おいしかったお酒は?
 「いっつもおいしい(笑)。自分自身のことで言えば、親父から頂戴した芸を、気がつくと息子に取られてる。そんな時は嬉しいですね。私が親父のそこんとこを見て、一番きれいだと思ったように、息子もそう感じてその型を取り入れてくれたのでしょうから」
――盗まれて嬉しいって、素敵ですね。
 「はい。お能はね。ニキビの出るまでに基礎を覚え、35歳くらいまでは師匠の言う通り。しかしそれを過ぎれば自分のお能を創らなければならない。私の創造は思いもよらないものもありますけど、誰がやっても同じじゃね。創造がなければ芸術じゃないし、全部決まっていたらおもしろくない。だから、意外性も必要です。若い人に言ってんです。『何を経験してもいい、うまく自分の芸に還元しなさい。お能は意外性がないとつまんないから』って」

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