“このまち思い出”物語 あなたと広島のエピソード 大募集 結果発表

たくさんのご応募ありがとうございました。
2018年11月17日より開催の当キャンペーンは、2019年1月31日をもちまして終了いたしました。

広島のまちを想う、心あたたまるエピソードを多数お寄せいただき、誠にありがとうございます。
多数のご応募の中から、厳選なる審査の結果、グランプリ(1作品)・準グランプリ(5作品)に加え、審査員特別賞(2作品)を決定いたしました。
私たち広島ガスは、今後とも「人」と「まち」をつなぐ企業として、このまちにくらす皆さまの笑顔を育んでまいります。

受賞作品発表

宮島鳥居の前での記念撮影のイラスト


グランプリ

「夏休み」

大本 加代子さま

【思い出の場所[宮島の鳥居]】

 鳥居をバックに、夫が撮った写真、幼い3人の子供達に囲まれた姿は、子育て中の母の姿がそこにあり大好きな一枚です。リビングに貼って、毎日眺めての朝食です。今年は、夫の七回忌にあたる年で、法事の後、宮島へ行って、同じ場所で同じポーズで写真を撮って欲しい!と初めて子供達に私の方から、遊びに連れて行って欲しいとお願いしました。
 大人になった彼等は、皆、休みを合わせるのに苦労しながら、やっと日程を確保して、集まってくれて、無事に法事が出来て、次の日の宮島行きを全員で楽しみに準備しましたが、台風で通行止めになり、あえなく中止となり、松江フォーゲルパークに変更しました。美しい花や鳥に癒され夏の楽しい時を過ぎて、写真も沢山撮って満足でした。
 松江は松江で、楽しかったけど、やっぱり婆ちゃんを宮島へ連れて行こう!と言ってくれて8月の終わり、願いが叶い、又皆が集まって行く事が出来ました。
 思い出の宮島へ広島県内に住んでいても、中々行く事が出来なかった所へ、大人になった子供達と写真を撮る事が出来て幸せでした、とても暑い暑い日の忘れられない思い出です。
 もし、夫に伝える事が出来たら、約束通り、毎日笑って暮らしてます!と伝えたいです。
そして、穏やかな海と鳥居、鹿の歓迎、タイムスリップしたみたいで楽しい場所でした。食べ物も進化してこれは、びっくり!又行きたい場所です。


審査員特別賞

「ぬくもりの場所」

原畑 祐子さま

【思い出の場所[大崎上島]】

大学を出てすぐ家を出て、臨時採用教員として1年間、島の高校で勤務していました。教師として右も左も分からず、どんな風に生徒と接し、どんな風に授業をしていけばいいのか迷っては悩んでいました。なかなか上手くいかず、「自分には教師は向いてないかも」と思うこともありました。ですが、この島に昔から住んでいる方が、笑顔で話しかけてくださったり、おすそわけをしてくださったり、ご飯にお誘いしていただいたりすることがあって、精神的にも支えられました。島を案内していただき、潮の香りや、沈む夕日の美しさ。海が一面の星空のように光るホタルイカ。見上げると空には満天の星 また、その頃から生徒との関係も深まり、授業の形もできてきました。任期が終わる頃には、私も寂しさが募り、生徒と共に涙したほどです。お世話になった方々への挨拶を終え、いよいよ島を出る日になりました。フェリーの港にはたくさんの生徒や島でお世話になった方々が、旗を振ったり、画用紙にメッセージを書いてくれたりと、ますます感動で胸が熱くなり、後ろ髪を引かれる思いで島を後にしました。その時のみんなの顔。その時の潮の香り。その時の美しい夕焼け。その時の出航の汽笛までもが、胸の奥に残っています。このぬくもりこそが、今の私を作る原点になっています。


審査員特別賞

「三篠川あたり」

岩本 美智子さま

【思い出の場所[三篠川]】

 広島と云えばデルタの都。川なくして広島は語れません。思えば遠い遠い昭和十八年の春の事でございます。私は広島の軍需工場に勤めて居りました。隣り合せで仕事をしていた彼がフト!「明日の日曜日は三篠川のボートに行こう」と誘ってくれました。私は嬉しうて其の夜はねむれませんでした。季節は春四月、三篠川の水量は豊かで清くさざ波一つありませんでした。眼をうつせば対岸の土手の桜は満開をほこり時折風もないのに一とひら二たひらと花びらがこぼれ散って水面に浮かんではただようのでした。私達は何んにも語らずに時々彼のオールのさばきを見ておりました。
 五日後には彼は広島を後に出征する事に決っておりました。こんな美しい三篠川を見ていると戦争なんか何処にあるのだろうかとさえ思いました。一時間はまたたく間に過ぎボートをガンギに寄せた彼は私の手を取って引き揚げてくれました。彼と手を握ったのはこれが初めての最後となりました。そしてわずか一ヶ月後彼の乗った輸送船は東支那海に沈んだと聞かされました。
 美しい三篠川の風景は二度と見る事ができなかったのです。今も三篠川は美しく清らかに流れています。私の大好きな広島の風景です。大好きな大好きな広島一番の好きな場所でございます。


準グランプリ

「私の大好きな宮島」

広瀬 ひろ美さま

【思い出の場所[宮島の弥山]】

 広島市東区の端っこに住んでいる私は、まだ晩秋の季節、真っ暗な時間に家を出て宮島に向かうのが大好きです。車の運転が出来ないので、バスとJRの電車と船を乗り継いで行きます。宮島口港で船に乗り込む頃、宮島へ向かって左側の稜線を朝陽が昇ってきます。顔を覗かせた太陽は船に向かってまっすぐオレンジの線を伸ばしてきます。この風景が見たいので、朝早く出る事は苦になりません。
 そして、紅葉谷コースを通って弥山に登ります。頂上には奇岩があり、展望台からは360度風景が眺められます。このなんとも言えない風景がこんな身近にあり、登山道はしっかり整備され、安心して歩くと共に原生林の中を歩く気分は最高です。どんなに嫌な事があっても辛い事が有っても、この道を歩くと悩んでいた自分がアホらしくなります。時々、森の中で野生の鹿と出会います。この出会いも私の登山の楽しみの一つであり、その日は「ラッキー」と思いながら歩を進められます。
 登山は確かに途中で苦しくて仕方ない時間も有りますが、空気、風に揺れる木々の音、すれ違う人たちとの挨拶。全てが好きです。下山したらまた登りたくなります。私の大好きな場所、元気をくれる場所、そんな宮島の弥山が大好きで仕方ありません。


準グランプリ

「広島市民になりたくて」

Yo&Coさま

【思い出の場所[比治山公園]】

 彼と付き合い始めたころから、大阪(私)と広島(彼)の遠距離恋愛をして5年がたちました。
 普段は彼が大阪へ月1で会いに来てくれていましたが、大型連休のときは私が広島に遊びに来ていました。長期の休みで彼と長く一緒にいられることが嬉しくて嬉しくて、アッという間に時間は過ぎていきました。最終日には近所にあった比治山公園まで二人でお散歩をし、公園から見える街並みを見ながら淋しい気持ちと将来への期待を膨らませていました。「早く一緒になりたいね」とお互いに離れる淋しさを抱え、また次に会える時まで頑張ろうと言い合いながらばいばい。一昨年末、彼からプロポーズ。ようやく一緒になれる日が決まり、それから半年間は、両親へのあいさつ、結納、退職などであっという間にすぎ、昨年夏ついに念願だった彼のお嫁さんとして広島市民になることができました。それからは、天気が良い日に比治山へ登りいつもの場所で街並みを見て、あの時の感情を思い出しながら今の幸せを噛みしめています。
 災害が多い昨今、私たち夫婦で決めている避難場所は比治山公園です。二人にとって思い出の地であり大切な場所となりました。現在妊娠6カ月。生まれてくる我が子にも比治山の景色を見せてあげたいです。これから新しい家族が増え比治山公園から見る景色は更に彩りを増していくことでしょう。あの時感じていた想いを忘れずに、主人や子供を大切にしていきたいと思います。


準グランプリ

「思い出のフェンス」

タロウさま

【思い出の場所[古江東公園]】

 私が父の転勤で広島に来たのは41年前、カープが黄金期を迎えた頃だった。私達は野球をするのによく古江東公園を利用していたのだが、ここは左程広くない公園で、小学校高学年にもなると打球が頻繁に5m程の石垣を超えて畑の中へと消えていくのだった。その日も私の打った球が石垣を超えてしまう。勝手に入ってよいわけもないが、野球を続けるために仕方なく私は畑に入った。すると、また運悪く畑で作業をしているお爺さんとばったり遭遇してしまったのだ。怖いお爺さんという噂を聞いていたので私は緊張したが、とっさに「ボールが入ったので取らせてください!」と大声で頭を下げた。するとお爺さんは私を怒ることもなく、それどころか一緒にボールを探してくれたのだった。ボールを探しながら、お爺さんは優しく私に話してくれた。子供がボールを探しにこの畑に入って来ては、植えたばかりの苗を踏んでいくこと。それでも、公園が小さいから仕方がないとも思っていること。私は友達に畑の植え込みを踏まないよう伝えると約束した。それからしばらくして、石垣の上にはフェンスが設置された。お金も手間もかかるのに、お爺さんが私達の事を考えて設置してくれたのだ。作業しているお爺さんに私達は皆でお礼を言った。「これでボールは入らんじゃろう!」お爺さんは笑顔で手を振ってくれた。
 あれから35年を経過した今でも、あのフェンスは公園にあった。私の思い出と共に。


準グランプリ

「希望と光あふれる本川」

植田 敬さま

【思い出の場所[広島市中区を流れる本川]】

広島に移り住んで20年になる。もっと正確にいえば、広島市中区白島の本川沿いに住んで20年だ。本川には光と希望と夢もある。
毎朝5時30分に起きて、朝食を食べ、家を出るのが6時30分ごろ。職場まで歩いていく。約45分かかる。これをもう5年近くやっている。晴れた日も、雨の日も、風の日も、どんな日でも歩いていく。
どんな日でも、本川から光が出ている。正直、職場へ行きたくない日だってある。そんな時、本川は私に語りかける。
「もっと胸を張って歩かんね」
私は本川から光をもらい、無理にでも胸を張り歩き出す。
昨年12月に88歳で父が亡くなった。父の故郷である熊本から帰ってきても、心は晴れない。私は恐らく、下を向いて歩いていた。するとまた、本川から声をかけられた。
「お父さんは、あんたの心の中で生きよるよ。笑顔で歩かんね。お父さんの大好きだった五木の子守唄を歌わんね」そう言われた。
そして、しゃきっとして父の大好きだったその子守唄を歌った。
「花は何の花 つんつん椿、水は天から もらい水」
父からの声も聞こえてきた。
「まだまだ、がまだせ」
「そうだよね。まだまだ頑張るけん」そう心の中で父と約束をした。
本川との会話はこれからも続いていく。本川のきらきらした光を胸いっぱいに吸い込んで、今日も堂々と歩く。それが、本川と大好きな父への恩返しになるからだ。希望と光あふれる本川。
ありがとう。


準グランプリ

「広島県内旅行」

木ノ内 淳子さま

【思い出の場所[尾道]】

 これまでの家族旅行は海外や東京や沖縄等に行っていました。数年前、時間も取れず経済的にも安価に済ませたい事情から、尾道へぶらりと旅してみました。これが思いの外楽しくて、子ども達にも大好評。わざわざ県外に出なくても、こんな素敵な場所が広島にあったのだと認識しました。
 文学の小径は細い坂道で上下左右に練り歩きながら猫ちゃん探しやいろいろな物を発見したり、たくさんの古寺があるのでお寺巡りをしたり、お寺から見下ろす町並みと海の景色はとても素敵で心が和み、昭和の懐かしさ残る商店街を歩きながら時に裏路地に入るとお洒落なお店があったり、島に渡れば美術館やいろいろな施設もあり、綺麗な海で海水浴も楽しめるのです。
 実は外国人旅行客が多いのですが、ということは私たち広島県民が行ってないのはおかしいって思いませんか。海外からわざわざ来られる地が、こんなに身近にあるのだから行かなきゃ損。
 というわけで、たびたび尾道に訪れて、さらに新しいことを発見すべく散策しています。日帰りも可能で行きやすいのですが、のんびり滞在するときはホテルではなく安価なゲストハウスに泊まると、外国人が多く居間でコミュニケーションが取れるから海外旅行気分も味わえます。
 私の旅行観、広島観を変えてくれた尾道が大好きです。