昭和中期
ガス事業の再建
 太平洋戦争は終わりましたが、多くの国民は一望の焼け野原を前にして打ちひしがれ、挫折感と無気力に襲われ、虚脱状態にありました。また戦争は全国のガス会社にも大きな爪痕を残しました。大戦前と敗戦直後を比べてみると、需要家は247万戸から93万戸に急減し、東京や大阪などの大都市では焼け跡の随所でガスが噴出し、供給されるガスの半分以上が途中で漏れている例もありました。全国のガス供給設備が戦災で受けた被害は、当時の価格で2億2,700万円と推定されています。
 このような状況の中、瓦斯統制会の音頭の下に、ガス復旧作業は開始されました。復旧作業は、爆弾で破壊された導管を掘り起こして修理し、ガス漏れを止めることから始まりました。食料難、資材不足という悪条件の下での復旧作業は困難をきわめ、瓦礫の中でみんな真っ黒になっての力仕事でした。

日本初の油ガス装置が稼働
 戦災からの復興が順調に進み、朝鮮動乱による特需も加わり、都市ガスの需要は昭和20年代の後半に入り旺盛に伸びました。
 このためガス事業者は、老巧設備の更新や新規の設備投資を活発化しなければならなかったのですが、これに関連して、わが国の産業史上目ざましいガス製造技術の開発がありました。東京ガス千住工場で稼働を始めた「油ガス発生装置」の技術です。これはまた、伝統的な固体燃料から液体燃料への転換というエネルギー革命の先駆をなす技術革新でもありました。



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広島ガス株式会社
HIROSHIMA GAS Co.,Ltd