達人 その限りなき挑戦 6
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  女優・ユニセフ親善大使黒柳 徹子
撮影=田沼武能
音声サービス

黒柳さん 隣の子ととにかく
仲良くして
みんなで手を繋いで
いかなきゃ
21世紀はとっても
生きてられないって。

 ユニセフ親善大使として,訪ねた国々の子供たちに見せる笑顔。そしてテレビを通して楽しさを伝える笑顔。その奥にある黒柳徹子さんの想い。同じテレビ人として尊敬し憧れた方に,静かな感動を持ってお会いしました。

――私の局アナかけだし時代,大変な下調べをなさるという黒柳さんのお仕事ぶりが,お手本でした。
 「どうもありがとうございます。どんな時でも,下調べが必要だと思っています。『徹子の部屋』は,編集もしないで短時間にゲストの方の人生をお伺いするわけですから,その方のバックグラウンドを知っておきませんとね。このごろ『世界・ふしぎ発見!』なんて,私にパーフェクトを出させないように,スタッフの方もはっきりテーマを教えてくれなくなって(笑)」
――自ら楽しんでいらっしゃるのが画面からも伝わってきます。
 「テレビは,それがハッキリ出るものですから,自分が楽しくないと見ている人もつまんないと思うんですよね。私の場合,自分が楽しくやってますので(笑)」
――NHKに入られたきっかけは?
 「たまたま人形劇を見に行ったんですね。するととっても子供たちが喜んでいて,自分の子供にこれをやって見せたら,母親として尊敬されるかもわかんないなと。それで,新聞を開くとたまたまNHKがテレビを始めるので俳優を募集するって出てたんですね。ここに行けばそんなの教えてくれるかもしれないと思って。私は『いいお母さんになろう』と思って受けたんです。そうしましたら,素人で無色透明,前途遼遠であなたは選ばれましたって(笑)。でも当初は個性が邪魔だって,しょっちゅう降ろされたりしてたんです。そうやって1年くらいたった昭和29年にNHKで『ヤン坊,ニン坊,トン坊』というラジオ番組が始まったんです。トン坊に選ばれました。それをお書きになった飯沢先生が『僕は君の個性が欲しかったんで,今のままでいい』とおっしゃってくださったんです。それがなかったらこの仕事やめてたかもしれません」
――お母さんになる予定が決定的に変わったのはいつでしょう。
 「仕事を始めて15年目くらいの時,『こんな仕事は,お母さんになろうと思ってる人がしてはいけないんじゃないかと』考えてみる意味もあったし,学校卒業してずっとNHK専属で仕事してましたからね。それで一年間お休みしてニューヨークで,演劇見たり,演劇学校で学んだりしながらいろいろ感じたんですね。それでテレビは自分を出せる司会とかインタビューの仕事。演じるのは舞台だけにしようと,ハッキリ色わけすることにしたんです」
――テレビの良さってなんでしょう。
 「一度にたくさんの人へ,同じ情報を伝えられること。それと『徹子の部屋』を始めてすぐの頃,手応えみたいなものを感じることがあって。視聴者の皆さんと交流しているような感覚がありました。舞台と似たような交流感覚で,非常に居心地がよかった」
――舞台と言えば,ろう者の劇団を設立,支援されてますけど
 「えぇ。私が通った小学校には,障害を持った子がたくさんいたんですけど,校長先生は『助けてあげなさい』とか『手を貸してあげなさい』とは一度もおっしゃらないのね。いつも『みんな一緒だよ。一緒にやるんだよ』っておっしゃるだけなんです。ずっとそれが当たり前なんで,特別なことではないんです。だから,誰か困っている人がいたら『一緒にやりましょう』てなっちゃうのね。ろう者の劇団を創る時もそう。ろう者の芝居をするグループの人と偶然出会ったものですから,それじゃ一緒にやりましょうって。ユニセフ親善大使でやらせていただいていることも,そんな子供の頃,障害を持った子と一緒に育ったってことがあるんじゃないかしらと思いますね」
――ユニセフの活動のエネルギー源は?
黒柳さん  「例えば,アジアのある国では,6歳くらいから暗く不衛生な工場で,一日8時間も働いてるんですね。一日40円もらって。それで家族を養ってるって言うんです。そんな子供たちが少しでも希望を持って生きていければいいなと思うのと,そういう子供たちがいるってことを,日本の皆さんに知ってもらいたいと思うんです。日本の子供たちは恵まれているなと。でもね,このごろ、日本は、このままではだめだなって想いが強くなっているんです。これからの若い人は,興味のあることをするのも,自分の個性や才能を伸ばすことももちろん必要なんだけど,自分たちだけよければいいって思わないで,隣の子ととにかく仲良くして,みんなで手を繋いでいかなきゃ,21世紀はとっても生きてられないって。できれば人の悲しみとか苦しみが,わかってあげられる人になっていただければと思うんですね」

 『みんな一緒』それが黒柳さんの原点。特別なことではなく,自分にできることをしているだけというその姿には,尽きることのない熱い想いと,切なる願いがあふれていました。黒柳さんが蒔きつづけておられる『希望の種』が,咲き揃う日を願わずにはおれませんでした。


黒柳 徹子プロフィール

黒柳さん 東京都出身。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのメリー・ターサイ演劇スタジオで学ぶ。現在、27年続いているトーク番組「徹子の部屋」などテレビ番組にレギュラー出演の傍ら、舞台女優としても活躍中。「社会福祉法人トット基金(日本ろう者劇団)」設立。第38回毎日芸術賞、第4回読売演劇大賞最優秀女優賞と大賞等受賞多数。1984年よりユニセフ親善大使となり、飢餓、戦争、病気で苦しんでいる世界の子供たちを訪ね、その実情を伝える活動を続けている。主な著書「窓ぎわのトットちゃん」等多数。


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