2年ほど前のことでした。シンポジウムの会場で,彼はとつとつと語り始めた。都市の中の建築はどうあるべきかと,まじめで柔らかく,説得力のある語り口を,今でもはっきり記憶している。その彼-建築家山本理顕さんとの再会でした。
――ここに来るまでに,タクシーの方に『西消防署にお願いします!』と言うと,『あの消防署じゃないみたいな消防署?』って(笑)。
「いい評価なのか,どっちなのかよくわからない(笑)。この建物はコンペだったんですけど,その時われわれは,ここが平和大通りに面した非常によく見える場所なものですから,消防署ということもあり,なるべく中の様子もよく見えるものにしようと提案したんですね。ショーケースみたいにね。消防署の訓練などを地域の人たちに見てもらえることで関心が生まれ,地域社会とのコミュニケーションが図れるんじゃないかと。消防署の方も,見せることで地域に対してメッセージをおくることもできますしね」
――外から見える,人に見られるってことは自分を解放していく,ひとつの方法であるかもしれませんね。
「そうですね。みんな見えていいか!?って言ったら大変なことでしょうけど,見られると変わってくることはあると思います。例えば,密室状態になっている教育の場面と,外から見える教育の場面とでは,先生と生徒の関係も違ったものになると思います。関係が外側に向かって見えるということが非常に重要だと思うんですね。特に公共の建築はなるべく透視可能に造っておくということが大切だと思いますね。隠した途端に密室的になっていって,いろんな問題が起きている。批判されることもありますけど,われわれの造る建築物は,内部が外からかなり見えるように造る傾向にあります。しかし,外側からいろんな関係が見えるってことに関して,日本の国のシステムそのものが躊躇しているところがありますね。建築はその典型なんです。学校や病院,図書館,美術館にしたってそうでしょ!?もう少し風通しのいい建物にしていく必要があると思いますね」
――なるほどね。先生は『見える』というコンセプトの建物に興味を持たれたのはどうしてなんですか。
「う〜ん。例えば僕の自宅だと外から風呂場が丸見えなんですね。でも,外といっても中庭に面したプライバシーの高い場所だから,見えても問題はない。そんな風に住宅ひとつとっても,中庭に面した外と,大通りに面した外とでは同じ外でも関係が違ってくるし,見えていいかどうか考えることで,いろんなことが整理でき,風通しの良い社会ができてくると思う。建築というのはそういうことを考えるきっかけになる。閉じることを前提に造ると,みな同じになっちゃう」
――建物っていうのは,その中にいる方たちもさることながら,その周りの方たちにも影響を与え続けますよね。
「色々な生活が,その建築ができることで変わっていくんだと思う。ところが多くの行政側の人たちは『いい建築物を造るよりも,安くて,とりあえず従来通りのものを造って,欠陥がなければいい』と思っている。でも,行政側に思いがあるとしたら,建築はそのメッセージを伝える道具として非常に有効だと思うんですよ。ヨーロッパなどは,行政も市民も建築に大きな期待を持っています。ところが,日本では『箱物』って呼ばれるくらいで,『いい建築物を造る』という仕組みをつくりにくいところがありますね。建築に関しては,日本は後進国だと思います」
――厳しい世界ですね。動かないものを動かそうとしていらっしゃる。
「建築に限らず,社会全体が今のシステムで本当に大丈夫なのかっていうと,みんな危なっかしいと思っているわけですよ。そんな中で,じゃあどんな建物ならいいのか,従来通りでいいのかと…。建築家というのは,いつもそういう一番矛盾の起きているところの最前線にいる感じがしますね。でも建築だけじゃ解決できませんからね」
――それでも,とにかく前に進まなくてはいけない。
「そうですね。ひとつの建築を巡って人と人との関係や活動も変わり,時間が経つことで建物への感じ方も変わる。そうして評価されるってこともありますし,答えがでるまでに何十年とかかることもあります」
――それでは,何十年後のために,夢とか,メッセージは?
「やっぱり,建築の仕事なり,建築そのものが社会で認知されること。徒弟制度に近いような状況ではなく,若い有能な人が働ける環境をつくらなければと。そのためには,建築を依頼する側の意識も変わって欲しいと思っています」
山本理顕さんは,建築を通してある意味で,社会に革命を起こそうとしているのかもしれない。どこまでも静かで,革命者が待つ荒々しい印象のかけらもないのだが…。静かに,しかし,大きく時代が変わろうとしている今,静かなる動の彼を時代が求めているのだと私は思う。
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