アニメマンガ。幼児番組。コマーシャル。私たちがアニメーションと聞いて連想するのは、こんなところでしょうか。でも、その認識を変えるときがきたようです。アニメーション作家、木下小夜子さんにその深さと魅力をお聞きしました。
――初めに、アニメーションについて教えてください。
「アニメーションというのは、制作者が意志を持ってフレームの中に創り出した映像のこと。動かないものを動かす。命ないものに命を与えるってことなんです。みなさんがアニメと言っておられるテレビマンガや、粘土やクレパスが動いたり、人形が動くものなどは、いろいろあるアニメーションのスタイルの中のひとつなんです」
――アニメーションは、その他どのように活用されていますか?
「アニメーションは、メディアとしても優れた特長を持っています。言葉で説明することが難しいことでも、短い時間に多くのメッセージを込めて表現することが可能です。コンピューターが登場してからは、NASAなどが宇宙旅行のシュミレーションに使ったり、医学、建築、裁判など、さまざまな分野で利用されています。アニメーションは、言語や文字も映像に置き換えることができ、想像の世界だって表現できますから、幅広く使える使い勝手のいいメディアでもあるんです」
――なるほど。アニメーションには、可能性がいっぱいあるんですね。
「えぇ。最近ね、ワークショップで子どもたちと一緒にアニメーションを創るんです。するとその過程で、子どもたちの才能とか個性が見えてくるんです。この子はここを伸ばしてあげればいいなとか、この子は何に向いているなとかね。ただ映像を見たり創ったりするだけでなく、『アニメーションの有効性』のようなものも、模索しています(笑)」
――それでは、広島国際アニメーションフェスティバルのいきさつをお聞かせください。
「1972年のニューヨーク国際映画祭で、木下蓮三と創ったアニメーション『MADE IN JAPAN』でグランプリをいただきました。ところが当時はまだ、アニメーションが社会的に認知されていなくて、創るだけではなく広めることもしていかなければ…と。それからいろんな所に働きかけていましたが、'78年に『ピカドン』を創って見ていただいた。するとアニメーションにはこんなにも伝える力があるのか』って。それで『世界には素晴らしいアニメーションがいっぱいあって_広島でアニメーションの映画祭ができたらいいな』とお話ししたところ、『じゃぁ一緒に』って。スタートするまで12年かかりましたけど」
――広島でする意味ってなんでしょう。
「『どうして広島なの?』『次は東京でやってよ』って言われるのね。それで私は『なぜ広島じゃいけないの!』って逆に言ってやるんだけど(笑)。インターナショナルな催しは、どこであれ一緒。地球の中の1点だから。広島はこの意識を忘れないでほしいと思います。でも広島には本当に感謝してるの。みんなが足元の利益を追求している時に、海のものとも山のものともわからないものに、リスクを負って『やります』って。だから、広島に本物の国際文化事業の背骨づくりをするつもりでやってるんです。そう、ここにはね、世界の本物が集まっているんです。本物を見ていれば、誰かに教わらなくても、本物と偽物を見分ける目ができます。そして、いい観客がいい作品を創る。そういう意味でも、広島の人には、いいユーザーであって欲しい(笑)」
――これからの広島に期待するものは?
「広島の素晴らしい復興の陰には、世界中の協力があったと思うんです。だから21世紀は、広島がその感謝の気持ちを世界に返す世紀にして欲しい。例えばね『広島の原爆も、あなたたちの不幸に比べたら』っていままで言えなかった。でもそれを言えるようになるってことは、それだけ心が広くなるってことでしょ。人を思いやる。それが大切なことだと思う。特に、大変な思いをした広島だからこそ、心が広くなればなるほど、相手を思いやる力も強くなると思うの。そうして、自分たちの手で新しい文化遺産を創り出して欲しい。30年後、50年後。実現する実感を手の中に感じながら、孫の代を期待しているんですよ(笑)」
――目先のことばかりでなく、長いスパンで考えることが大切ですね。
「そう。アニメーションには、人間の織りなすあらゆるものが入っているから、それを大事にすることは、みんなすべてを大事にすることだと思うの。だからこそ、広島の人たちには、アニメーションを背骨にしてちょうだいって言ってるの。私は、アニメーションのためにアニメーションをしているんじゃないんだから(笑)」
世界中が思いやる心で満たされる日は、いつ訪れるのだろうか。「私は信じています」と木下小夜子さん。「踏まれても根強く忍べ道草の やがて花咲く春は来ぬべし」父からいただいたとおっしゃる座右の銘のように、木下さんの思いは、いつの日か美しく咲き誇ることでしょう。
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